1.自身の入院や祖父の介護から、食事の大切さを実感

管理栄養士

2021.10.05 更新

「栄養指導室」と書かれたドア。中に入ると、壁には食品の栄養成分表が貼られ、棚には茶碗に入ったご飯や器に入ったサラダ、切り身の鮭など、さまざまな食品のサンプルが置かれています。ここが、時田美恵子さんの仕事場。管理栄養士・糖尿病療養指導士として東埼玉総合病院で働いています。時田さんは、どのような経緯で管理栄養士を目指したのでしょうか。また、日々、どんなことを大切にして患者さんに接しているのでしょうか。お話をお聞きしました。

入院生活で知ったのは、制限のある食事の大変さと大切さでした

時田さんが管理栄養士を目指したのには、ふたつの理由があると言います。ひとつめは、高校生時代に経験した自身の入院生活でした。1年生の時にIgA腎症になって入院することになり、たんぱく質や塩分を控えた病院食が始まったのだそう。

「当時は、病棟での栄養指導は管理栄養士ではなく看護師がする時代でした。私の場合は、たまたま看護実習生がつくことになって、毎食きちんと一緒に計測しながら食べていたのを覚えています。ご飯やおかずの量はもちろん、使われている塩分などを計測して確認しながらでした。制限のある食事の大変さや、その大切さを実習生と一緒に学んだと思います」

半年間という長い入院生活の中では、同じ病室の人との交流から、さまざまな人が食事について悩んでいることを知ったとも話します。

「同じように腎臓疾患がある中学生と、味が薄いねって話していました。ほかにも、糖尿病のおばあちゃんがいたんですけど、入院食じゃ足りなくてキャベツを持ち込んで食べていたんです。スライサーを持ってきてせん切りにして、ポン酢しょうゆをかけて。野菜ならいいだろうって考えだったんでしょうね。人によって病院食の捉え方はいろいろなんだと思ったんです」

入院生活では、食事の時間を楽しみにしている人も多いもの。味が薄かったり、量が足りなかったりすれば、どうしても残念に思ってしまうのだと実感したのです。逆に満足のいく食事ができれば、少しでも気持ちが前向きになれるだろうとも想像したと言います。

自宅での介護だからこそ、食べやすいものを作りたい

そして、もうひとつの理由は、実家でお祖父さんを介護していたこと。お母さんが仕事と家事をこなしながら、お祖父さんの身の回りのこともしていたのだそう。

「いわゆる在宅看取りをしていました。祖父が少しずつ食べられなくなっていくなかで、母がおかゆなど作って頑張っている姿を見ていました。高校生だった私も手伝ってはいましたが、もっと食べやすい料理や栄養のある食事ってないのかなと感じていたんです」

自身の入院と祖父の介護を経験したことが重なり、食事の大切さや、おいしい食事の必要性を感じた時田さんは、管理栄養士の道を進もうと決めます。もともと料理が好きだったということも後押しになりました。というのも、時田さんの実家は酒屋さん。中学生のころから、忙しい両親に変わって、料理を作る日も多かったのです。

「特にお中元とかお歳暮の時期は忙しくて、学生アルバイトさんも来るから、たくさんの人のご飯を作っていました。今みたいになんでも揃うスーパーもないし、もちろんお惣菜屋さんもないので、肉屋さん、魚屋さん、八百屋さんと回って買い物をするところから。ハンバーグやカレー、生姜焼き、ポテトサラダといろいろ作っていましたよ。手伝うのが当たり前だったから、苦ではありませんでした。だから、進路を考えるときになって、看護師と迷ったんですが、料理が好きという気持ちが管理栄養士に繋がったんでしょうね。病院勤務の管理栄養士になりたいと思っていました」

短大で栄養について勉強し、卒業後は病院に就職。働きながら管理栄養士の資格を取ることに。しかし、早朝から出勤して病院食を考え、夕方まで勤務という日々。勉強する時間がなかなか取れないという現状が待っていました。

「仕事は楽しいけれど、このままだと資格の勉強ができないと思って。一度試験に落ちたこともあって、環境を変えようと乳業会社の営業職に転職したんです。産婦人科や薬局で乳児用のミルクや栄養食品の説明をしながら、栄養指導も行うという仕事。そこは激務ではなかったので、無事に働きながら管理栄養士の資格を取ることができました」

こうして、念願の管理栄養士の道を歩むことになったのです。

次回は、実際に働き始めてからどのような経験をしてきたのかをお聞きします。

取材・文/おいしい健康編集部
写真/近藤沙菜