小学校6年生のときに1型糖尿病にかかり、それがきっかけで医師をめざしたという市原由美江先生。現在は糖尿病専門の医師として活躍しています。1型糖尿病がどういう病気なのか、また、ご自身の病気がわかったきっかけやなぜ医師をめざすことになったのか、お話を伺うページです。
「2.子どもだからこそ感じる、1型糖尿病の辛さ」では、幼いころの1型糖尿病とのつきあい方についてのお話を聞きました。今回は、その後どのように乗り越えて、医師を目指すことになったのかを教えていただきます。
「失明の恐れ」という言葉がショックで
食事療法での辛さの他にも、精神的に辛い思いをしたこともあったと話します。それは「1型糖尿病」について正しい知識のない大人からの言葉でした。
「親戚や学校の先生から『食べ過ぎが原因だ』と言われることが何度もありました。1型糖尿病は、食生活が原因ではありません。心ない言葉に辛い思いをしたこともあります」
また、医師に言われた言葉でもショックなことがあったそう。糖尿病の疑いがあるとわかって総合病院へ行った時のこと。担当した小児科の医師に言われた言葉を、市原先生は今でも覚えています。
「『将来、目が見えなくなりますよ』と当然のように冷たく言われたんです。当時、何も知識のなかった私も母も、とてもショックを受けました。確かに糖尿病がひどくなれば、合併症として失明する可能性はあります。しかし、今、医師になった立場から考えると、患者さんに向かって簡単には言えません。その可能性を伝える時は、タイミングや言葉を慎重に選ぶようにしています」
ただでさえ糖尿病ということがわかって不安な状態。そこにさらに合併症のリスクを伝えることは、必要なこととはいえ、どんな時にどのような言葉を選ぶかが大切なのです。市原先生は身をもって経験し、今の治療に生かしています。
普通の生活ができるとわかって、前向きに
逆に励まされた言葉もありました。入院して最初の主治医からの言葉は、市原先生の気持ちを支えてくれ、さらには医師を目指すきっかけにもなったそう。
「『糖尿病はインスリンを打っていれば普通の生活ができる。だから、パジャマを脱ぎなさい。普通の服を着なさい』と言われたんです。それって『病気なんか気にするな。何でもできるんだから、普通の服を着て頑張りなさい』と励まされた気持ちになって」
「先生の言葉がとても嬉しくて、こんな風に患者さんを励ますことができる医者になりたい、と思ったんです」
辛い思いや悔しい気持ちが子供心に残り続けていたのだろう、と市原先生は続けます。
「その辛さや悔しさが、逆に『医師になりたい』という気持ちに向かわせてくれたのだと思います」
「助けられるだけじゃない」と思えるように
その後、治療に取り組みながら少しずつ病気との付き合い方を覚えていった市原先生は、医師への道を歩み始めます。2浪しながらも懸命に勉強を続け、見事、医学部に合格。
「医学部に受かった時に初めて『これまでの戦いが終わった!』と思えました。『もう患者という立場だけじゃなく、これからは医師という立場をめざせるんだ』と前向きになれたんです」
それまで主治医から患者会に行くことを勧められても拒否をしていました。それが、医学部に合格したことで気持ちが前向きになり、ボランティアで参加するように。病気についてのブログも書くようになりました。
「『私はもう助けられるだけじゃない。誰かを助けることもできるようになる』という思いが、自分を解放するきっかけになったんでしょうね。同じ1型糖尿病の友達ができたこともとても嬉しかったです。振り返ればもっと早くそういう会に参加すればよかったと思います。当時の自分には無理でしたが。今は医師の立場として自分の経験を踏まえて、患者さんには参加を勧めています」
「4. 1型糖尿病の妊娠と出産で気をつけることとは?」に続きます。
写真/近藤沙菜